お知らせ

芳本康司先生を深く偲ぶ夏

 敬愛する芳本康司前副理事長が1年前の令和5年8月14日にご逝去されました、改めまして謹んで哀悼の意を表しますとともに、遅ればせながら会員諸氏にご報告申し上げます。彼の突然の旅立ちは、私たちにとって大変に大きな悲しみであり、秋冬春が過ぎ去りまた夏がやってきても深い喪失感から抜け出すことができません。
 芳本先生は、常に組織の発展とメンバーの成長を最優先に考え、献身的に尽力されました。その卓越したリーダーシップと温かい人柄は、多くの人々に尊敬され、信頼が厚かったことは言うまでもありません。彼の努力と情熱は数え切れないほどの成果をもたらし、未来を明るく照らしてくれていました。
 思い起こせば、平成27年後半から大阪府理学療法士会の組織改編構想が始まりました。市区町村理学療法士会の創設と学術局の分離独立(生涯学習センターの創設)を推進していた私には理解者はごく少数でした。そんな苦境の中で、歴史が必ず証明してくれると彼は背中を押し続けてくれたのです。そして勤務先で士会活動を制限されていた彼は法人を説得し、一般社団法人大阪府理学療法士会生涯学習センターとして発足した新組織の創設メンバーとして役員就任を名乗り出てくれました。新組織の産みの苦しみに耐えながら、大きな法人のリハ部門を統括する本務との両立は大変だった筈です。センターの認知度が遅々として上がらず、総会での心ない会員からの批判の声に役員の誰もが眉間に皺を寄せていた頃、黒のタンクトップ姿で理事会に登場した彼の明るい笑顔や思いやりのある言葉は、いつも私たちの心を和ませ、励まされるものでした。その一つ一つの瞬間が、今も鮮明に心に残っています。
 まるで健康優良児が大人になったような彼でしたが、発覚時点でステージ4であったと病状を打ち明けてくれたのは昨年の春先でした。あたかも世間話をするかのような飄々とした告白にどう応えて良いのか戸惑っていると、化学療法等は一切行わず自分の体力で克服すると笑顔で言い放ったのです。今になって思えば、この時既に彼の中には強い覚悟があったのだと思います。7月末頃までは取り止めない話で連絡をとり、時々鎮痛剤を服用するが元気に通常業務を行っていると聞いていました。息を引き取る1週間前まで陣頭指揮を続けていたと聞き及び、彼の覚悟に触れた気がしました。強靭な精神力を持った本当にナイスガイでした。
 彼が残した数多くの功績と、その人間性は永遠に忘れることはできません。私たちは彼の遺志を引き継ぎ、これからもセンターの発展に向けて努力していくことを誓います。
 直ぐに哀悼の意を表すべきだったのですが、諸事情により1周忌を迎える今となりましたことにご寛恕を賜り、ここに芳本先生のご功績を称えるとともにご冥福をお祈りし、ご家族の皆さまのご健康をお祈り申し上げます。
 海を愛し、バイクを愛し、仲間を愛し、ダディと呼ばれ家族に愛されてた芳本先生。どうぞ安らかにお休みくだい。明朗快活な先生の教えと影響力は、いつまでも私たちの心の中に生き続けます。

合掌
令和6年8月14日
  大阪府理学療法士会生涯学習センター 
理事長 中川法一